有福城 (府中市)

古い町並みで知られる上下の町から国道432号線をしばらく北上すると有福城跡が見えてくる。国道沿いの橋近くに案内板が設置されており場所も分かりやすい。登城は民家の裏から道が続いてるのだが山麓は藪状態だった。それでも道は確認でき山の中腹辺りから下草もなくなり登りやすくなる。本丸周辺の曲輪は形状をよくとどめており数段に連なる曲輪の形もはっきり分かる。ただ山頂部の木が伐採されておらず視界はあまりよろしくない。県史跡ではあるが訪れる人は少ないのかもしれない。
以下、現地案内板より
広島県史跡 有福城跡 昭和16年3月10日指定
足利尊氏が京都に幕府をたてた延元元年()6月、青目寺別当弁房や小早川掃部助高平らとともに挙兵した、備後国南朝方の中心人物竹内弥次郎兼幸が拠った。有福庄内の山城兼幸らは山内氏(世羅郡津口)や長谷部氏(上下扇山城)らと戦ったが敗れ、逃れて後落飾し正平9年(1354)に没したという。
有福庄は賀茂別雷社の荘園で、鎌倉時代の初めには備後の守護土肥実平が守護所を置いたと見られるところである。
平成4年3月 府中市教育委員会


展望
★★★
最寄の駐車場から本丸までの疲労度
★★★
# 登城2007年12月
所在地 府中市上下町有福
1:八ツ尾城 2:淵上城 3:楢崎城 4:扇山城 5:有福城
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