広島県のお城

淵上城 (府中市)

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淵上城 遠景

 淵上城は芦田川沿いの登城口より入った。入り口には淵上城史跡森公園と書かれており手入れがされてるのだなと思った。しかし、最初の三分は公園内を歩いてる気分だが、中腹程度からよくある放置山城状態になる。それでも登城の道は確保されており本丸跡までは10分位で到着した。最高所の本丸と思われる削平地は細長い。この郭の下段にある二の丸は建物も建てられる位の規模があるが、この本丸の狭さはどうにも微妙。見張りの郭だったのかもしれない。城域には三ヶ所の郭と思われる削平地のみ確認出来た。
 この城は、木梨杉原氏の城と伝わる。

以下、現地案内板より


淵上城 (土生城)史跡

● 杉本氏
 建久3年(1193)源頼朝は桓武天皇の後裔、相州三浦郡帛笠城主杉本又五郎の二男信永に土生の庄を賜り居城し延元元年(1336)足利尊氏により落城するまで144年間杉本氏六代まで続く。

● 杉原氏
 建武3年(1337)足利尊氏は新田義貞に敗れて九州に逃れたが、多々良浜の戦いに勝ち勢力を挽回することが出来た。尊氏は杉原信平・為平の兄弟に西国無比の無勇であると称賛し、芦田、品治両郡18ヶ村を賜りここに居城する。
 杉原四郎義恒のとき同族の府中八尾城主と不和になり、淵上城を囲まれ義恒は討死し七郎左衛門は丹州に逃れ、後、尾張に移り住む。木下藤吉郎、後の秀吉が一目惚れした北の政台「ねね」は、この七郎左衛門の曽々孫として淵上城ゆかりの人であると云われてます。

● 豊田氏
 元亀2年(1571)豊田右京進元利は毛利元就から芦田郡と御調郡三千町歩を賜り居城する。豊臣方にあった元利は小早川秀秋が徳川方に寝返ったため形勢は一変し敗走は止むなきに至り、一族郎党よく奮戦するも全滅しました。元利の子、元明・元良の兄弟はかろうじて淵上城に帰着したが、せんさくが厳しく城を捨て高木村に帰農する。

杉本氏・杉原氏・豊田氏の城主合わせて四百年間芦田郡、品治郡、御調郡の守護の居城としての城址跡です。芦田川右岸道路よりに井戸跡も現存しています。

  1994年 土生町郷土史会 史跡保存及び環境保護委員会

淵上城 登城口

淵上城 本丸跡

展望
★★
登城の疲労度
★★

# 登城2008年4月

所在地 府中市用土町
1:八ツ尾城 2:淵上城 3:楢崎城 4:扇山城 5:有福城


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