広島県のお城

八ツ尾城 (府中市)

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八ツ尾城 遠景

 八ツ尾城へは山麓の府中八幡神社の境内裏から登城した。この府中八幡神社は、元々、八ツ尾城内の「宮の壇」といわれた曲輪にあったらしく、八幡さんらしく八ツ尾城の守護神として祀られていたらしい。現在の地には江戸期に遷座されたとの事。
 登城への道は整備はされているものの急峻で疲労度は高い。それでも山頂近くのお宮まで登ると視界も開け気分もいい。ここからの眺めは絶景。そのお宮の裏から山頂の本丸部分を目指すのだが、あまり整備はされていなかった。本丸跡は本格的に発掘調査はされてないらしく廃城となったまま残されている。それでも手入れをする人がいるのか藪状態ではなかった。郭の加工もよく分かる。

以下、現地案内板より



八ツ尾城跡 (標高345.9m)

「西備名区」に杉原伯耆守光平が1202年源頼家より備後守護職を賜り鎌倉より来り当城を築き住すとある。代々鎌倉に奉仕してるが、十一代杉原彦三郎光親のとき、天文の初め他州に移っている。その跡を木梨系の杉原氏が三代続いて城主となり杉原理興のとき、山名氏の神辺城を落とし入れ天文7年(1538)神辺城に移り、当城は空城となる。この間南北朝時代1362年に山名時氏により攻められ、八代城主光房の二男詮光は開城した。その後、城は杉原に返されたが、いざという時は山名氏の行営となった。この他、宮内村の櫻山茲俊の旗揚げのとき、占領されており、亀寿山の戦いでは、八ツ尾城(城主杉原基康)が毛利元就の本陣となり、宮一族と戦い戦勝している。(出口郷愛会)

八ツ尾城 本丸

八ツ尾城 展望

展望
★★★★★
最寄の駐車場から本丸までの疲労度
★★★★★

# 登城2008年1月

所在地 府中市出口町
1:八ツ尾城 2:淵上城 3:楢崎城 4:扇山城 5:有福城


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