広島県のお城

有田城 (北広島町)

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有田城 遠景

 有田城は千代田の町を見下ろす丘陵地に位置する。有田合戦の舞台となった城で毛利ファンにはよく知られた城である。そのせいか城跡は駐車場、トイレ、ベンチ、案内板など整備され訪れやすい。規模的には大きくはないが、交通の要衝に位置し重要な城だったのだろう。

以下、現地案内板より


有田城跡と有田合戦

 有田城跡には四つの郭(人工的な平坦面)と、郭の北西端を固める土塁(人工的な土手)が残っている。
 城主は山県一族有田氏と思われ、東の壬生氏、西の今田氏とともに、室町から戦国時代初期にかけてこの地域を支配していた。1515(永生12)年、中国地方に大きな勢力を持っていた山口の大内氏に対し、銀山城(広島市安佐南区)の武田元繁が反旗をひるがえし、壬生氏・有田氏・今田氏も従軍した。これに対し、大内氏の命を受けた郡山城(高田郡吉田町)の毛利氏によって有田城は攻撃され、落城した。
 1516~1517年に有田城奪回を目指す武田氏と毛利・吉川氏の間で有田合戦が繰り広げられたが、武田元繁は戦死、山県一族の壬生・有田・今田氏も没落した。元繁戦死の地の碑は現在、又打川河畔にあるが、今田、中井出など異説があり、確定できない。
 この有田合戦は、武田氏の威勢を失堕させることとなり、逆に毛利氏は安芸国人の中に占める地位を固め、初陣を飾った元就自身も毛利家家督相続の足場を築くこととなった。

   芸北東部広域観光連絡協議会 千代田町観光協会
 

有田城 郭周辺

有田城 本丸跡

展望
★★★★
登城の疲労度
★★

# 登城 2008年3月

所在地 北広島町有田
1:壬生城 2:有田城 3:今田城 4:寺原城 5:余谷城


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