広島県のお城

今田城 (北広島町)

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今田城 遠景

 今田氏城館跡は道路に隣接しており場所はすぐ分かった。遺構は石垣と庭園跡が残されており屋敷跡は農地として利用されている。規模的には、あまり大きくないなと感じた。
 城館跡の前の道路を少しあがると今田城の登城口がある。そこから本丸を目指した。比高はそれほど高くないが、急峻な場所もあり登城の道は全体的にロープがつながれている。10分位登ると3郭に到着。ここには井戸跡と土塁、そして宝くじ助成備品と書かれた簡易トイレが設置されてある。井戸を掘った昔の人も偉いがトイレをここまで運んだ人も偉い。3郭から本丸までは急峻な登り道で切岸されてるのが分かる。本丸跡には日の丸が掲げられており、地元の方がこまめに城を訪れているのだなと感じた。ここからの展望は高くない割には良い。

以下、現地案内板より


今田氏城跡 (県史跡) 所在地 山県郡千代田町今田

 今田城は、またの名を河内山城という。丘陵の間に開けた今田の谷の一番奥、丘陵からけわしい山地へと地形がかわる最前部に位置している。山麓からの高度は、わずか100mにすぎないが、周囲はすべて急な斜面になっており、山頂からは、遠く日山城まで見通せる。
 城跡の遺構は、郭が4、数段の平坦地及び竪堀からなる。各郭は階段状に並んでおり、1と3の郭には土塁が西端部を固めている。3の郭北端の帯郭状に延びた奥には径2mの井戸があり、竪堀が北からの備えとなっている。4の郭の虎口部分は鉤型に2度曲がる等の工夫が竪堀とからめてなされている。

      1989年11月20日指定   千代田町教育委員会


今田城 本丸跡

今田城 見取り図



今田氏城館跡(県史跡) 所在地 山県郡千代田町今田

 今田氏城館跡は、麓の館と城がセットで存在する中世城館の典型的な形を留めている。
 この城館は、山県一族今田氏の在地・交通支配の拠点であったが、戦国初期に山県一族今田氏が没落すると、吉川経高がこの城館を継承した。毛利元就次男元春が吉川家を相続してからは、吉川元春の居城日山城(千代田町中山)の支城としての役割も果たしたと思われる。
 館の規模は、80m*50m程度であり、前面には約60mの石垣が配してある。石垣の構造は、横積みを基調としながらも、所々で石の広い面を表に出して立てるという独特の技法を用いている。この石垣の積み方は、吉川元春館(豊平町海応寺)、万徳院跡(千代田町舞綱)、二宮氏館跡(千代田町川井)などと同じ手法である。こうしたことから、この地域には石垣構造の職人集団が存在していたことが考えられる。
 また、館跡左奥(南西端)には築山・池を配した庭園跡が残っている。

      1989年11月20日指定   千代田町教育委員会
 
今田館跡

展望
★★★★
登城の疲労度
★★

# 登城 2008年3月

所在地 北広島町今田
1:壬生城 2:有田城 3:今田城 4:寺原城 5:余谷城


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