広島県のお城

桜山城 (福山市)

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桜山城 遠景
 桜山城跡は吉備津神社を取り囲む城郭群の中でも一番吉備津神社に近い場所に位置する。この城は元弘の変に宮氏の桜山茲俊が挙兵したことで知られる。挙兵は失敗に終わったが、ここで問題となるのが桜山茲俊が吉備津神社に火をつけ自刃したこと。宮氏が神人(武器を持った僧兵みたいなもの)クラスでは、社殿に火をかける事など出来ない。宮氏は吉備津神社の社家だったのではなかろうか?九州の宗像大社や肥後一宮阿蘇神社などは大宮司職から戦国大名化している。

以下、現地案内板より


史跡一宮(桜山茲俊挙兵伝説地) 桜山城跡

 桜山城跡を含む吉備津神社境内周辺は、「太平記」によると鎌倉時代末期の元弘元(1331)年に後醍醐天皇が倒幕を計画したが失敗し、笠置山に逃れて兵を募ったときに、楠正成に呼応して桜山四郎入道茲俊も挙兵し、備後一宮に拠って一時は備後半国を従えました。しかし、同年九月には笠置山が落城し天皇が捕らえられ、十月には千早城も落城し楠正成も戦死したと伝えられたことから、桜山方の味方は離散したため茲俊は一族郎党23人とともに、翌2年正月に吉備津神社に放火して自刃したと伝えられていることから、1934(昭和9)年3月13日に史跡一宮(桜山茲俊挙兵伝説地)として、国の史跡に指定されています。

 桜山茲俊の挙兵の地とされる桜山城跡は、吉備津神社の南側の標高81mの低丘陵頂部全体を空堀で区切って城郭としたもので、中央に長さ約50mの主郭を置き、その東・西・北三方の尾根上に一段下げて曲輪を配置しています。各曲輪の規模は大きくないが、それぞれかなりの比高をもたせ、盛土と削平により壁面を切り立たせた堅固なもので、実戦的色彩が強い城郭です。また、これらの曲輪群の西側は尾根を空堀により分断しており、東・西ともその外側に若干の平坦地を続けたのち、さらにもう一重空堀を巡らせ守りを固くしています。

 また、西側に伸びる尾根続きには、標高156mのところに鷲尾山城跡があります。この地は、吉備津神社と門前町を中核として、輪蔵の谷から御池を堀として、三方を山に囲まれ一方に開けた「城郭都市一宮」が考えられます。

桜山城 周辺

# 登城2007年12月

所在地 広島県福山市新市町
1:相方城 2:亀寿山城 3:桜山城 4:大場山城 5:国竹城


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