亀寿山城 (福山市)

宮氏惣領家の居城として知られる亀寿山城は、新市駅から歩いて行ける距離にある。新市には備後国一宮の吉備津神社があるが、安芸国一宮の厳島神主家が国人衆として武装化したように、宮氏も吉備津神社の関係の出なのかと思ったりもした。城域は広いのだが、城めぐりをしているより霊山めぐりをしている気になる。至る所にお地蔵様やらお社があり神仏習合時代の面影が残っていた。各郭までは急峻な登り道となっているが郭の加工もそれほどではない。
城は1534年7月、尼子方についた宮氏は毛利氏に攻撃され落城した。
以下、現地案内板より
亀寿山城 (鎌倉時代末期~天文3年(1534))
亀寿はもと亀地であり、近世に入って亀寿と記した。
古山陽道は御領より戸手を経てこの山麓を通り、市、三原に通じた。また神谷川沿いに北上する街道もあり、中世まではこの地は備後東部の交通の要所であった。
街道に近く急峻な地は城を築くに適し、幾世代にもわたって興亡と盛衰の歴史を残した。「元弘の変」(1331)では、宮内桜山城の支城として南方を防ぐ任務を果たしたほか、その後も備後東部の有力な城として攻防の中心にあった。
天文3年(1534)9月尼子勢の一翼を担って毛利方と対し、城をあとに広谷方面で戦い(陰徳太平記・広谷合戦)落城する。
山頂一帯に砦が築かれその規模は近隣の山城を圧倒していたものと推測される。山頂部近くの現石鎚神社は二の丸跡に位置し南に本丸、西に三の丸と連なっていた。


# 登城2007年11月
所在地 福山市新市町黒尾
1:相方城 2:亀寿山城 3:桜山城 4:大場山城 5:国竹城
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