大場山城 (福山市)

大場山城は本郷城とも呼ばれる城で本郷地区を見下ろす大場山に位置する。城のある山だとすぐに分かったが登城口が分からなかった。地元の親切な方に聞き民家の駐車場近くの登城口より登城。ちなみに、周辺に駐車できる場所はない。城跡への道は急峻ではあるが整備されており登りやすい。郭周辺は下草が刈られ視界をさえぎる木も伐採され眺めも良い。
大場山城主であった古志氏は、尼子氏の南下政策により安芸武田氏らと共に大内方から寝返り、芸備争乱の原因になった事で知られる。大内氏は毛利元就の兄である興元に命じ大場山城を落城させた。
以下、現地案内板より
■ 大場山(城山)
福山市本郷町字城山762番・字山手762番
標高143m
眺望 東:本郷町内・神村の山々 西:立神方面の山々
南:本郷町内・四国石鎚連峰 北:新庄奥山・大谷山
■ 大場山城
* 1213年(建保元年 鎌倉時代前期) 大庭(おおば)三郎景連が新庄の地頭として築城
* その後、12代大庭氏が居城 (伝承)
* その後、古志正光より古志清左衛門に至る6代居城 「水野記」
古志正光 - *** - 古志豊清 - 左衛門太夫豊網
四郎五郎元 - 古志清 - 古志清左衛門元網(豊長)
* 1512年(永世9年)9月 「古志の城」と呼ばれていたこの城は、大内氏の命を受けた毛利興元により攻め落とされるも、後に古志氏は大内氏と和睦し城主に復帰する。 「西備名区」
* 1591年(天正19年 安土桃山時代後期) 古志清左衛門の時、毛利氏により改易される「水野記」
監修 備後史探訪の会


展望
★★★★★
登城口から本丸までの疲労度
★★★
# 登城2008年2月
1:相方城 2:亀寿山城 3:桜山城 4:大場山城 5:国竹城
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