五日市城(幸崎城・光明寺城)は甲立荘の出の宍戸氏の城で、宍戸氏は有力な厳島神領衆として知られている。城跡は住宅街の中にあり、また遺構跡に民家が建っているので分かりにくい。
五日市町史によると、徳川期の初め頃まで城の西側を八幡川が流れており二つの小山が並んだ形だったらしいが、片方は掘り崩され宅地化されたらしい。城主は宍戸弥七郎元純との事。毛利軍が陶氏との争いにおいて佐西郡を制圧後は、この城の重要性も失われた。
# 登城2008年1月
所在地 広島市佐伯区五日市4丁目
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海老山城 2:
五日市城 3:
桜尾城 4:
茶臼山城 5:
水晶城
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