水晶城 (広島市)

水晶城へは石内バイパスより山陽自動車道よりの旧県道沿いに登城口がある。入り口の雰囲気からあまり期待をせず登ってみたが、多数の郭を備えた本格的山城だった。郭の加工もはっきり分かり帯郭に囲まれた本丸周辺は堅固な縄張り。登城への道は下草も刈られ整備されている。本丸部分の視界はそれほどでもないが、本格的に整備されると見違える城跡になるのではと感じた。
この城の築城年代は定かではないが源平合戦の頃には源氏方の城として築かれていたらしい。応仁の乱の折、厳島神主家の相続問題がおこると大内氏は厳島神領地を直轄地として支配し水晶城にも城番を置いたが、これに不満を持つ神領衆の友田上野介興藤が反発し、自ら厳島神主を名乗り大内氏に反旗をひるがえし水晶城を攻め落とした。その後、大内氏と和平を結ぶも尼子氏が南下し吉田郡山城を包囲すると友田上野介興藤は再び挙兵。しかし大内氏も攻勢を開始し桜尾城を居城とする友田上野介興藤は攻め滅ぼされ厳島神主家は滅びた。水晶城は再び大内氏の支配となったが、大内家で陶晴賢による謀反がおこると陶氏の城となるが、陶氏と毛利氏が離反すると毛利氏に攻められ落城した。


展望
★
最寄の駐車場から本丸までの疲労度
★★★
# 登城2008年1月
所在地 広島市佐伯区五日市町石内
1:海老山城 2:五日市城 3:桜尾城 4:茶臼山城 5:水晶城
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