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鎮海山城 (竹原市)

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鎮海山城

 鎮海山城は、場所はすぐ分かったが登り道が分からなかった。しかし、下から見ると大した高さではない。んな訳で城跡北面の崖をよじのぼって本丸へと辿り着いた。道らしきものは無かったが郭らしき跡、石積み跡などを発見。それなりに楽しめたのだが、本丸跡には東側から登る立派な登山道がついてた。何だか損をした気分にもなったが、本丸跡からは竹原の市街もよく見え見晴らしも良い。竹原の駅前は戦国期には海だったのだろうと考えると、村上水軍らしい場所に築城されたのだなと感じた。

以下、現地案内板より


竹原市史跡「能島村上氏の遺跡」 指定 平成4年12月24日
     
   市史跡 鎮海山城跡

 鎮海山城跡=三島村上水軍の総大将、村上武吉、元吉父子が天正13年9月(1585)豊臣秀吉に能島を追われ、小早川隆景領の竹原へ移り、鎮海山城を築き拠点とする。天正15年(1587)筑前名島へ移動し、その後豊前蓑島へ移る。
 文禄元年(1592)長州大津郡へ移動。慶長2年(1597)竹原鎮海山城に帰る。慶長5年(1600)関ヶ原の戦には、水軍を率いて伊予三津ガ浜に出陣し、元吉は戦死、村上水軍は敗退して竹原に逃れ帰る。
 慶長6年(1601)毛利氏の防長への移動に従って竹原を退去し、周防屋代島に移動するまでの約6年間の能島村上氏の拠点であった山城。

 城郭は、市街地に突き出た小丘上にあり、かっては深い湾に突き出た岬にあったと考えられる。郭は標高88.1mの本丸を中心に約10段ほど北西に一列に並び、南西に海に突き出るような形で郭が張り出している。郭はいずれも削平した痕跡程度で明確ではない。
 本丸には、石組みが約3m*4.5mあり、以前そこには城山神社がまつられていたと伝えられている。墓=城跡の北西に城主村上元吉の法篋印塔が1基と、その西側に戦死者の墓と考えられる五輪9基が並ぶ。


                 竹原市教育委員会


鎮海山城 本丸跡

鎮海山城 展望

展望
★★★★
最寄の駐車場から本丸までの疲労度
★★ (路上駐車)

# 登城2008年1月

所在地  竹原市竹原町貞光
1:木村城 2:小梨城 3:鎮海山城 4:的場城 5:賀儀城


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