広島県のお城

木村城 (竹原市)

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木村城01
 
 国道432号線沿いにある和賀神社の裏山が木村城跡。国道沿いに看板も設置してあり場所は分かりやすい。ただ城跡へと登る登城口までの道路は狭く軽自動車か単車で訪れたほうがいいかもしれない。城域は郭の加工もはっきり分かり、井戸も何ヶ所もある堅固な城構え。また登城の道も整備され登りやすい。本丸周辺の木がもう少し伐採されていれば視界も開け観光ポイントになるのでは思った。

 竹原と言えば江戸時代の町並みが有名だが、海岸線より離れた新庄の町に竹原小早川の拠城があったのは沼田小早川の本郷までは海路より陸路のほうが早く、また当時は平地面積が海沿いより新庄のほうが広かったのではなかろうか。

以下、案内板より


木村城跡(県史跡)

沼田小早川茂平の四男、政景が正嘉2年(1258)、都宇、竹原庄の地頭職を得て入部し、この城に拠った。天文10年(1541)、武田氏(尼子方)の佐東銀山城(広島市祇園町武田山)を元就と共に攻めていた竹原の興景が陣中で病没した。興景の夫人が元就のめい(元就の兄、興元の娘)であった縁で、毛利元就の三男隆景が天文13年(1544年-12歳)竹原小早川家を相続し木村城へ入った。さらに天文20年(1551)、沼田小早川家を相続して高山城(国史跡本郷町)に移った。
 
城跡は標高150mの丘陵上に、本丸、二の丸、三の丸に相当する曲輪のほか何段かの曲輪があり、見事な石組井戸が残る。北端に若宮社の跡が残っているが城の守護神であろう。室町時代の文章に「この居城は、だれがなんといってもけっして、はずされてはならない。月に5度ずつ大勢の人夫で築城させよ。塀や櫓も割りあてて修理させよ」と記されている。

木村城 本丸跡

木村城 曲輪周辺

案内板の縄張り図


木村城02

展望
★★★
最寄の登城口から本丸までの疲労度
★★★

# 最終登城2008年2月

所在地: 広島県竹原市新庄町城ノ本
1:木村城 2:小梨城 3:鎮海山城 4:的場城 5:賀儀城


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