広島県のお城

岩山城 (呉市)

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岩山城 遠景

 375号線を広から東広島に向かうと郷原地区で一際目立つ山が左側に見えてくる。写真だと分かりにくいが、山の頂上部分の岩に白く大きな文字で「火の用心」と書かれてある。その山に岩山城があるのだが、下から見上げただけで疲れそうな岩山。登山道具は何も準備はしてない。それでも登城入り口を見つけると木の階段が整備されており登ってみることにした。道は急ではあるが山頂まで整備されており登りやすい。本丸周辺は草木が生い茂り遺構が確認しにくい状態だが道だけは確保されている。どうやら、ここは城オタクより登山家に愛されている山のようだ。郭南部は絶景・・・とゆうか落ちたら確実に死にそうな絶壁。あの「火の用心」を書いた人は立派だと思う。

 この城は黒瀬から郷原にかけて支配した新居氏により築かれたと伝えられる。大内氏の東西条南部の拠点であったが、陶氏が大内家で謀反を起こすと、それに乗じて毛利氏が頭崎城、槌山城など大内家の拠点を次々と攻略。この城も天文23年(1554)に毛利軍二千に攻められ落城した。

以下、現地案内板より


呉市指定文化財 第45号 名勝 岩山

 岩山(海抜420.6m)は、黒瀬川が運んだ土砂で出来た平地(海抜150m)に接し、270mの高さにそそり立つ花崗岩の岩山で、頂上からの展望は非常に優れています。

 戦国時代、東西条(現在の東広島市西条町周辺地域=呉浦も含む)を支配していた戦国大名大内氏の南部防衛の拠点となる城がこの山にありました。当時、勢力を伸ばしてきた毛利元就が天文23(1554)年、総勢2000人による猛攻撃を加え、激しい合戦の末、城主岩見源之丞は討たれ、岩山城はついに落城しました。

 以前、本丸のあった山頂からは黒くなった米や麦、ソバ等が出土したと言います。しかし、第二次世界大戦の時、砲台を山頂に設置したため、今は石垣や井戸を残すのみとなりました。
 

岩山城 本丸跡

岩山城 眺望

本丸からの展望
★★★★★
登城口から本丸までの疲労度
★★★★

# 登城2008年2月

所在地 呉市郷原
1:岩山城 2:丸子山城 3:龍王山城 4:大須和城 5:丸屋城


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