広島県のお城

丸子山城 (呉市広町)

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丸子山城 遠景

 広浦の北の玄関口にあたる徳丸に丸子山城は立地する。。城の別名は門松山城。城主は伊予から移ったとされる桧垣氏で、同氏は大内水軍の中核をなした有力呉衆(山本氏・警固屋氏・桧垣氏)として知られる。大内氏は芸備支配の拠点西条の鏡山城から黒瀬川沿いに城砦網を築き上げ、この城は瀬戸内側からの拠点として築かれた。城は天文23年(1554)まで使用されたと伝えられる。

 現在、城跡のほとんどが石内浄水場として整備され遺構の全体像はつかめない。それでも遺構の山部分には郭跡と思われる削平地、そして何層もの石垣群が残されている。これらの遺構が近所の段々畑と似ているのが難点だが戦国期のものだと思いたい。石内浄水場は関係者以外立ち入り禁止になってるので、入らないよう注意が必要。


展望
★★
最寄の登城口から本丸までの疲労度


丸子山城 石内浄水場

丸子山城 石垣

# 登城2008年2月

所在地: 呉市広徳丸町
1:岩山城 2:丸子山城 3:龍王山城 4:大須和城 5:丸屋城


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