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大可島城 (福山市)

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大可島城跡
 大可島城は足利尊氏の実子である足利直冬が中国探題として入城したこともある城。鞆が中国地方の重要拠点であったことがうかがえる。中世までは、その名の通りに島だったらしいが、1600年頃に埋め立てられ地続きになったらしい。島時代の大可島城の景観は、さぞ素晴らしかったことだろうが、景観問題を口にする者は当時は誰もおらず埋め立てられたのは残念なことである。もしかしたら、それぞれの時代にそった景観こそが適切なのかもしれない。
 城跡には円福寺があり拝観できるようになっている。


以下、現地案内板より


大可島城跡

 1342(康永元)年四国伊予を拠点とする南朝方と備後一帯に勢力をもつ北朝足利方が燧灘で合戦となり大可島城にこもる南朝方は全滅しました。その後、戦国時代に村上水軍の一族が大可島城を拠点に、海上交通の要所である鞆の浦一帯の海上権をにぎっていました。慶長年間(1600年頃)鞆城を築いた時、陸続きとなり、現在ある南林山釈迦院円福寺は、真言宗でこの年代に建てられました。


大可島城跡 円福寺

展望
★★★★
最寄の駐車場から本丸までの疲労度
★★ (鞆の浦歴史民族資料館の駐車場を利用した。)

# 登城2007年12月

所在地 福山市鞆町
1:鞆城 2:大可島城 3:一乗山城


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