広島県のお城

鞆城 (福山市)

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鞆城 01
 現在、鞆城の本丸跡には「鞆の浦歴史民俗資料館」が建てられており、鞆の風土や歴史が紹介されている。また展示物は見応えのあるものが多い。ここで少し残念に思う事とは、他の観光地と同じく模造天守もどきの資料館を建てていれば観光客も増え、鞆の景観にも大きく寄与するのではないかと言ふ事。当時の資料が残ってないならば、せめて和風の建物にして欲しかった。

 鞆城は村上水軍により築かれ、毛利氏によって本格的に整えられた。当時、信長に追われた将軍足利義昭を迎えたと伝えられている。福島時代には三層の天守をもった近代城郭として整備されたが一国一城令により廃城。城跡には奉行所が置かれた。


以下、現地案内板より


 鞆城跡

 ここは鞆城の本丸跡で、丘陵を利用して壮大な二の丸・三の丸が築かれ、東端は福禅寺、北端は沼名前神社参道、南は港に面していた。毛利氏が築いた城を、慶長5年(1600年)安芸・備後の領主となった福島正則が修築した。慶長12年(1607年)の朝鮮通信使の日記に「岸上に新しく石城を築き、将来防備する砦のようだが未完成である。」と記しており、その時、建設中だったことが知られる。
 元和元年(1615年)の一国一城に先立って廃城となり、正則の後を受けて入封した水野勝成は、長子勝俊の居館を三の丸に置いた。勝俊が福山藩主となって以後は、江戸時代を通して町奉行所が置かれた。

本丸跡から鞆港


鞆城 02

展望
★★★★
最寄の駐車場から本丸までの疲労度


# 最終登城2007年11月


所在地 福山市鞆町
 1:鞆城 2:大可島城 3:一乗山城


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