一乗山城 (福山市)

福山市の史跡に指定されている一乗山城は、熊野水源池に半島状に突き出た尾根に築かれている。本丸跡までの道も整備されており登りやすい。また曲輪の形態もよく分かり石垣等も残されている。
現在は湖上に浮かぶ山城のような雰囲気だが、熊野町渓谷に貯水池が出来たのが大正時代とも聞く。関ヶ原の戦後に城は廃されたが常国寺はそのままあり続けた。水源池の湖底には何かしらの遺構が残っているのかもしれない。
以下、現地案内板より
一乗山城と常国寺
一乗山城は、渡辺越中守兼によって、文明から永正年間(1469~1521)に築かれた中世の山城で、郭・石垣・堀切・井戸などの保存状態が良く、市史跡に指定されている。
渡辺氏は、時代の初め(1400年頃)草戸村に入り、長和荘の管理にあたったが、四代目兼の時代に山田荘(現熊野町)に移った。初め尼子方に就いたが、兼の晩年には毛利氏に属し活躍した。兼は日蓮宗に帰依し、城郭内に法華の守護神である七面大菩薩を祀り、麓には日親上人開基の常国寺を建立し菩提寺とした。
以来五代(兼・房・高・元・景)が一乗山城を拠点としたが、関ヶ原の戦いで敗れこの地を去った。その間、京を追われた室町幕府最後の将軍、足利義昭が毛利氏を頼って鞆へ来住した時は、その警護と接待役をつとめた。
また、常国寺は、日親上人や足利義昭関係の遺品(常国寺文書)をはじめ、江戸時代中期の建造物(唐門・鐘楼・番神社本殿)が市重要文化財に、ケヤキとモッコクが市天然記念物に指定されるなど、多くの文化財が所在している。
福山市教育委員会


展望
★★
最寄の駐車場から本丸までの疲労度
★★★
# 登城2007年12月
所在地: 広島県福山市熊野町
1:鞆城 2:大可島城 3:一乗山城
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