小田城 (東広島市)

小田城は訪れたのは今回が三回目。最近、整備をしていると聞いたので立ち寄ってみた。南麓の石垣が組まれた大手より登ったが、全体的に桜の公園として整備されるらしい。多くの山城が荒れるに任せて忘れ去られてる中、この城は幸せもんだなと妙に感慨深かった。現在、整備途中だが、この城は誰もが訪れやすい城跡になる。
以下、現地案内板より
小田城の由来
今から約730年余り前、沼田高山城(本郷町)の小早川家四代城主茂平の弟新庄左衛門季平(椋梨氏の祖)の次男三郎左衛門信平が、文永年間(1264~1274)に築城と伝えられ、代々330数年を経て最後の小田城主と思われるのは、小田甚兵衛であると芸藩通誌に記されています。
関ヶ原の合戦で西軍(豊臣方)に味方して敗れた毛利氏の移封に従って慶長5年(1601)に椋梨一族は、長州(今の山口県)萩に移りましたが、小田甚兵衛はその後、下河内大和原に隠遁していたと考えられ、下河内に小田甚兵衛何某・・・の墓があることで実証されています。
城址は、小田地区の中央に位置し、背後の竜王山(619.8m)の尾根を切り取って盛り土し、標高380m、東西28m、南北40mの城郭で、頂上に土塁の跡がある「本丸」、「二の丸」、西側に井戸跡がある「三の丸」を作ったと考えられます。南側の麓には、通用門としての石門があります。
2001(平成13)年2月 小田郷土会


展望
★★★★
登城口からの疲労度
★
# 最終登城2008年4月
所在地 東広島市河内町小田
1:椋梨城 2:小田城
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