広島県のお城

茶臼山城 (東広島市)

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茶臼山城 遠景

 茶臼山城への登城は、板鍋山に登る車道沿いに大きく看板がかけられており分かりやすい。登城口から最初の三分は道も整備され進みやすいのだが、傾斜部分に入ると松くい虫のせいか間伐された後なのか分からないが倒木で塞がれた道になる。倒木だらけの道を乗り越えると普通のケモノ道状態になるが、道らしきものも見失い直登し本丸跡に辿り着いた。削平の加工は森状態なので分かりにくいが、井戸跡やら人の手が入ったと思われる郭の形にはなっている。比高はそれなりにあるのだが木々のせいで展望はよろしくない。現状は完璧な放置山城だが、整備をすると見栄えが良い遺構ではないかと思った。

 この城は沼田本荘小早川家の庶子乃美氏三代の居城として知られる。二代目乃美景興が椋梨氏と共に竹原小早川家に毛利家三男の隆景を迎え入れ沼田小早川家の家督をも引き継がせた。三代目の元興の代には、およそ石高3万石あったらしい。毛利元就の側室だった乃美の大方もこの地の出と伝えられている。乃美氏は関ヶ原の合戦後に萩に移り萩藩の家老(禄高1220石)となった。

以下、現地案内板より



茶臼山城跡

この山城は戦国期(約500年前)のものです。
「芸藩通志」によると茶臼山城には乃美是興の子隆興から景興、元興と三代が居城していたと記されています。
城の形状はけわしい山頂が南北に広がっており、城跡もその山頂に細長く広がっています。深い掘割りで城の中央を東西に切断し、その北側に本丸を配し、続いて二の丸以下の三段をつくっています。西側には帯曲輪をかまえ、本丸の下の段には井戸跡があります。東側にも小さい郭が並んでいます。また大きく突出した細長い郭をもっています。南側の谷間には広い草地帯が開けており、馬場の跡と伝えられています。また南側の山続きを空掘で切断しています。

茶臼山城 登城の道

茶臼山城 本丸跡

展望
★★
最寄の駐車場から本丸までの疲労度
★★★★

# 登城2008年1月

所在地 東広島市豊栄町乃美
1:高塚城 2:堀城 3:茶臼山城 4:宇都山城 5:吉末城


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