広島県のお城

要害山城 (福山市)

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要害山城 遠景

 要害山城は天神山城とも云われ南北朝期に宮氏により城が築かれたと伝えられている。その後、大内氏と尼子氏の神辺合戦の時には大内方の山となり、要害山の山頂に安芸高屋保の平賀隆宗により築城された。いわば攻城戦における詰めの城である。大内軍の主力である陶氏や毛利氏・吉川氏・小早川氏らは神辺城落城を待たずに引き上げたが、平賀氏は要害山城に残り神辺城の山名理興を出雲に敗走させた。
 
 登城は要害山麓にある天満神社まで車で登り境内裏の道から本丸跡までいけるようになっている。本丸跡には石鎚神社が鎮座しており、眺望がよいよう木は伐採され草も刈られている。郭の形や土塁もはっきり分かり楽しめた。

要害山城 郭跡

要害山城 展望

展望
★★★★★
最寄の駐車場から本丸までの疲労度


# 登城2007年12月

所在地 福山市神辺町徳田
1:神辺城 2:要害山城 3:正戸山城 4:椋山城 5:志川滝山城


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