己斐古城 (広島市)

己斐古城は岩原城とも呼ばれている。この城へは城跡の裏側である高須団地1丁目の公園から登城した。公園の一部として整備されているものの放置状態のようにも見える。城跡の郭跡には展望台も設置されてるのだが、木が生い茂り視界はよろしくない。それでも郭の跡など山城としての形態はよく分かった。
以下、現地案内板より
己斐古城跡 種別:中世山城 住所:西区己斐西町
この山城跡は、自然地形を巧く利用し、地面を平らに加工したり(郭)、深く掘り込んだり(堀切)するなど、防御を固める様々な工夫を施して造られています。このような山城跡は、広島市内から200近く見つかっていますが、大部分は戦国時代(1467~1578)を中心とした時期に造られたものと考えられ、大小の山城がそれぞれの領地を取り囲むように配置されています。
この山城の場合は、大田川河口の西端、眼下に広島湾を出入りする船舶を監視することのできる絶好の位置に造られており、当時は麓まで海岸線がせまっていたものとも考えられますので、船着場を伴った水軍城であったかもしれませんね。城主等の記録は残っていませんが、急斜面に造られた数多くの郭が当時の面影をしのばせてくれます。


展望
★★
登城口からの疲労度
★
# 登城2008年1月
1:己斐新城 2:己斐古城 3:草津城 4:海老山城 5:桜尾城
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