広島県のお城

志川滝山城 (福山市)

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志川滝山城 遠景

 四川ダムの堤から湖を挟んで聳えるのが志川滝山城。ダムが完成する前は、今以上に威圧感のある城構えだったのだろうと想像した。城が築かれたのは1462年。備後南部に勢力を誇った宮氏一族の宮三郎義兼による築城とされる。時代は下って毛利と尼子の戦がこの地にも及び、尼子方についた宮氏一族は居城の亀寿山城を落とされるなど備後南部を切り取られ、1552年、志川滝山城に籠もった城主宮入道光音も毛利軍と激戦を繰り広げるもあえなく落城した。


以下、四川ダムの案内板より


四川展望

 広瀬の姫谷焼窯跡近くの姫谷池から、大谷池を経て流れる本流と、七社池から種集落を流れる支流が、城山の麓で合流して四川の渓流となる。この渓流を堰き止めて四川ダムができた。四川ダムは、加茂川流域の洪水調節と正常な流水の確保を目的として造られた。

 北方に聳える急峻な城山には、瀧山城があった。天文21年(1552)城主宮一族は、毛利元就の軍勢に攻略されて消滅した。

 南の四川の谷は、古い歴史と清流にはぐくまれて閉静な緑多い山里である。ほど近い粟根に生まれ育った文豪井伏鱒二は、望郷の念ひとしお強く、多くの小説、随筆のなかにこの谷間の風物や、素朴で勤勉な庶民の姿を描いている。初期の名作「丹下氏邸」は、この地が舞台になっている。春の陽光は、湖上のさざ波に輝き鮮やかである。夏は森を通り、湖面を渡る薫風が爽快である。秋には全山紅葉となり、冬は寂寥として、南に瀬戸の島々が眺望できる。

# 登城2007年12月


所在地 福山市加茂町北山
1:神辺城 2:要害山城 3:正戸山城 4:椋山城 5:志川滝山城


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