鷲尾山城 (尾道市)

県史跡に指定されている鷲尾山城跡は旧尾道市北部の木梨山にある。急峻な山なので登城をためらったが、麓には分かりやすい案内板も設置されており登ってみた。墓地を抜けるルートを選んだのだが、登山道は地元の人もよく登っているのか倒木や藪で覆われてるような放置城跡ではない。ただ急斜面なので足元に気を付ける必要がある。出丸を過ぎた頃から岩山を登ってるような感覚になってくるが、本丸下の曲輪にたどり着くと簡易トイレ(個室)が設置されてあった。正直、たまげた。よくぞここまでトイレを運んだものだと。肝心の本丸は面積880㎡と広く見晴らしもよい。各曲輪の形もよく分かり楽しめる城だった。
以下、現地案内板より
広島県史跡 鷲尾山城跡
所在地 尾道市木ノ庄町大字木梨字 大平354-57-83字奥山960
指定年月日 昭和52年3月4日
1336年(建武3)足利尊氏に従い九州多々良浜博多)の戦いで戦功を立てた杉原信平、為平が木梨13ヶ村(尾道、後地、栗原、吉和、久山田、木原、猪子迫、白江、三成、市原、木梨、小原、梶山田)を賜り、木梨に鷲尾山城を築き居城とした。以来、信平、光信、元盛、元直、光恒と続き、備後の覇者として武威を張ったが1543年(天文12)6月雲州富田城主尼子晴久によって城は攻め落とされ光恒は城内で自害、その子高盛は捕えられた。やがて、大内氏の助力を得て鷲尾山城に帰り、名を釈迦ガ城と改めた。その後、石原小次郎忠直に再び攻められ高盛は戦死。その子元恒は古志氏をたよって新庄に落ちのび小早川隆景をたより、再度、木梨へ帰り石原氏を滅ぼし鷲尾山城を回復した。1584年(天正12)元恒は千光寺山に権現山城を築いてここに移った。1337年(建武4)築城以来、実に247年木梨杉原氏の本城として備南地方を鎮めた鷲尾山城も1591年(天正19)秀吉の山城廃止令によって廃城となった。
現在も山上から尾根線に沿って、郭・井戸・空濠など多くの遺構を残し規模・内容ともに県内を代表する山城跡である。
広島県教育委員会 尾道市教育委員会 鷲尾山城址保勝会


本丸からの展望
★★★★★
最寄の駐車場から本丸までの疲労度
★★★★★
# 登城2007年12月
1:鷲尾山城 2:鳴滝山城 3:千光寺城 4:余崎城
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