広島県のお城

蔀山城 (庄原市)

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蔀山城 遠景

相模から移住した山内首藤家の最初の居城。築城当初は越田城と呼ばれていたらしい。この地域は鉄の一大生産地で陰陽の境界上にあることから重要拠点となり、強国に挟まれた城主多賀山氏は尼子方についたり大内・毛利方についたりしている。
本丸への道は整備され比較的登りやすいが、それでも比高220m。それなりに疲れた。本丸跡は最近、人が訪れた形跡はなく草が生い茂っている状態。

以下、現地案内板より



蔀山城跡 広島県指定史跡 平成4年10月29日指定

正和5(1316)年、山内通資によって築城された。
標高775mに築かれた城は、東側と南側は急斜面の崖が切り立っている。
山頂に本丸を、当方に二の丸と三の丸を置き、主要部とし、ここから東・西・南に派生する尾根へ、三十余りの郭が配されたという。
鎌倉初期、通資は相模国山内荘から来住し、蔀山城を築城。その後、元享年間(1321~24)甲山城へ移ってからは、弟通俊が在城することになり、家名を多賀山氏と改めた。
享禄元(1528)年には、出雲国の尼子氏に攻撃され翌年7月に蔀山城は落城した。その後、安芸国毛利氏の軍門に降り、尼子氏との数々の戦いに参加したが、天正19(1591)年毛利輝元により改易を申し渡され、築城以降275年にて廃城となった。

蔀山城 本丸跡

蔀山城 案内図

展望
★★★
最寄の駐車場から本丸までの疲労度
★★★★

# 登城2007年11月

所在地 庄原市高野町
1:蔀山城 2:黒岩城 3:大富山城 4:甲山城 5:雲井城



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