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黒岩城 (庄原市)

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黒岩城 遠景

 黒岩城は毛利と尼子が1553年に激戦(泉合戦)を繰り広げた大合戦橋の近くに位置する。城主の和泉氏は毛利方につき勝利した。この合戦後に毛利軍は江田氏も滅ぼし備北を手中におさめた。
 城への登城は、山の中腹部分にある「松岳院」跡が駐車場として整備されており比較的登りやすい。また本丸跡への道も整備されており、各郭跡には標識も設置され分かりやすかった。登る人が多いのかベンチも設置され、眺望が良いように木も切られている。

以下、現地案内板より


 黒岩城は中世戦国期の大永より文禄年代(1521年~1592年)すなわち16世紀前半から後半にかけて、当地方を支配した和泉氏の山城である。領主については諸説があるが、和泉氏三代にわたったと伝えられている。
中世城郭の分類型式により、形態を規定すると

*全体が自然の山地を利用して構築された典型的山城である。
*城郭は大小十余の郭が階段状に連接して構成された多郭階段式山城である。

 当時この地方は、山陰の尼子氏と山陽の毛利氏との争いの陰陽最前線にあたり、毛利氏にとって戦略的にも極めて重要な拠点として、三次盆地防衛の「前線砦」的な政治的・軍事的に重要な山城であった。
 海抜456m、城郭部分の面積は3ha、頂上からは東に向かって脚下に大月集落および雲伯路に向かう向泉集落や大合戦橋が見下ろされ、遠くには釜峰山をはじめ中国山地の連峰が望見できる。
 現在の駐車場は、大永年間に城主が開基した「松岳院」跡にあり、その前方約20mに参詣路の両側が巾3mの切割りとなり石垣が残っており、松岳院の山門跡と推察されるが、黒岩城の大手口も、このあたりと考えられる。

 山頂には「アベマキの巨木」が林立し、その途中には「矢竹」の群生地もあり、山城らしい山相を示している。また「シラカシ林」は分布的には、県最北端部に位置しており「ヤブツバキ・ベニシダ・ヤマツツジ」が群生し、自然美の宝庫でもある。

 今はなった「松岳院」跡に昭和30年代に建立した「収蔵庫」があり、松岳院の本尊や松岳院に安置されていた城主の位牌や、古文書等々、黒岩城にまつわる宝物が収納されている。また、付近に「八十八ヶ所札所地蔵」や「六地蔵」もある。なお、北東側に「犬走り」(腰郭)跡があり、これを保存し、さらに史跡を後世に伝えるため、要所に石柱による標識を建立してある。

黒岩城 本丸跡
黒岩城 案内図

本丸からの展望
★★★★
最寄の駐車場から本丸までの疲労度
★★★

# 登城2007年11月

所在地 庄原市口和町大月
1:蔀山城 2:黒岩城 3:大富山城 4:甲山城 5:雲井城



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