広島県のお城

鏡山城 (東広島市)

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鏡山城01
 現在、鏡山公園として整備されている鏡山城跡は桜の季節は多くの人で賑わう。西条盆地の中央に位置する鏡山に大内氏が築城したのは14世紀頃と伝えられている。
 本丸跡から周囲を見渡すと山ばかりの安芸国において当時は最大規模の平地が西条盆地であったのだろうと感じた。この地を大内氏が安芸国支配の拠点としたのも十分うなずける。大内氏の東西条支配は200年余り続いたが、鏡山城は八本松飯田の杣城に拠点が移るまで重要拠点としてあり続けた。

以下、案内板より


国史跡 鏡山城跡


 南北朝から戦国期にかけて、この地域は「安芸国東西条」と呼ばれ、山口の守護大名大内氏の所領でした。大内氏は、九州博多を有して海外貿易に力を入れてました。

 鏡山城は、大内氏が安芸国支配の拠点とし、あわせて瀬戸内海中央部を押さえる目的で築いたものです。大内氏は、鏡山城に「東西条代官」を置き重臣を任命していました。安芸国は、大内氏と海外貿易めぐって対立する細川氏との接点となっていたため、鏡山城をめぐって攻防が繰り返され、特に応仁の乱では、主要な舞台の一つとして激しい戦いが行われました。戦国時代に入ると、出雲尼子氏が勢力を伸ばし、大永3年(1523年)、鏡山城を攻め落とします。同5年(1525年)、大内氏は鏡山城を奪い返しますが、その拠点は盆地西方の杣城、槌山城に移され、鏡山城はその役割を終えました。

 城跡は、標高335mの山頂に位置する御殿場と呼ばれる郭を中心に約300m四方に広がる大規模なもので、ダバ(段場力)とよばれる郭や堀切、畝状竪穴群、石塁などからなり、中でも井戸跡は五ヶ所もあり多くの人が城内にいたことをうかがわせます。

 平成10年1月14日、室町時代を代表する地域の拠点的な城跡として国史跡に指定されました。

鏡山城 本丸周辺(2郭)

鏡山城 御殿場の石垣跡
 

鏡山城03

展望
★★★
最寄の駐車場から本丸までの疲労度
★★★

# 最終登城2007年11月

所在地 : 東広島市鏡山
1:鏡山城 2:曽場ヶ城 3:槌山城 4:飯田土居屋敷 5:鬼が丸城


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