広島県のお城

旗返山城 (三次市)

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旗返山城 遠景

 旗返山城を訪れたのは今回が二回目。前回は時間がなく登城を諦めた。城のある山のふもとには現在、登城は困難です。と書かれた案内板がある。困難であるという事は登れるとゆう事。川沿いの登山道から登ることにした。
 登山道は、せせらぎ沿いにあり最初の5分までは順調。そこから倒木10本以上を乗り越え、しばらく歩くと城がある山側に開けた谷がある。そこから城へ向けて直登。この谷は石垣が崩れたのか山上付近まで石の道みたいになっている。石のせいで木も生えず比較的歩きやすい。山上付近からは普通の山肌登りになるが何とか城域の下郭部分に辿り着いた。ここまで40分くらいはかかっている。そこから本丸まで15分位かかった。本丸跡は思ったより広い。

# 上記のルートは北側からですが、登山道は南側の白糸の滝との道が整備されてます。
 

以下、案内板より


旗返山城跡

 麓からの高さは200m、東・西・南は急斜面で天然の要害となっていて、典型的な戦国時代の山城です。頂上の主郭(本丸)には井戸跡も残っています。L字型に配置された郭が南にのびており、一部には石垣も残っています。城の北西部は複雑な堀切と竪堀で防備され、堀切の底には人頭大の石が多く散乱していて籠城合戦に備えたものと思われます。
 
 旗返山城は美波羅川の中下流一帯をした江田氏が本拠とした城で、江田氏は吉舎・三良坂を支配した和智氏と同族でしたが、戦国時代毛利・尼子の対立の中で、尼子方に味方した江田隆連は天文22年(1553年)毛利元就によって滅ぼされました。本城の南方国道375号線を挟んでそびえる陣床山城は、このとき毛利軍が陣地を構えた城です。

 江田氏を滅ぼした毛利元就は、大内氏を倒して実権を握った陶氏に、旗返山城の受け取りを求めましたが、陶氏は毛利家の力が大きくなるのを警戒して家臣の江良氏を城番としました。このことが、毛利氏が陶氏を倒す原因になったともいわれてます。

                                          三次市教育委員会

旗返山城 本丸跡

旗返山城 本丸下の郭

旗返山城 縄張り図


旗返山城 02

展望
★★
登城口から本丸までの疲労度
★★★★


# 登城2008年3月


所在地 三次市三若町
1:旗返山城 2:高八山城


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