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比叡尾山城 (三次市)

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比叡尾山城の遠景

 比叡尾山城は三次市畠敷町の熊野神社の北側に位置する。城主は備後国人三吉氏で中世は山名氏、大内氏の有力武将として活躍し、戦国期に毛利氏と一揆契約を結んだことから毛利家の武将として各地を転戦した。1544年に尼子軍の攻撃を受けるも奮戦し追い返している。

以下、案内板より


 中世、三次盆地を支配した三吉氏代々の居城で、1591(天正19)年に三次町の比熊山城に移るまでの約400年間続きました。標高410m、(麓からの高さ220m)の頂上からの眺望は素晴らしいものです。今でも熊野神社の裏から本来の大手道を登ることができます。本丸に相当する主郭は南北70m*東西40mで、石垣で組まれた門の跡や土塁も明確に残っています。複雑に配置された郭は約50を数え、その一つには石組の半地下式の穴蔵跡もあります。主郭の東の谷にある一画は埋門を構えて側面を堅固な石垣で築いており、相当な規模の建物があったことが想像されます。あるいは、合戦が日常化する戦国時代には家族が生活していたのかもしれません。三の丸に当たる郭の北側の斜面下をよく見ると、窪地で水がわき出ており井戸の設備が考えられます。周囲の入り組んだ土塁と郭は籠城の際大切な水の手(飲み水)を守る役割を果たしていたのでしょう。さらに、西斜面に幅3m、深さ2mの溝が真っすぐ麓近くまで掘り下げてあります。これは攻めて来る敵兵を分散させる機能を持つ戦国時代特有の「竪堀」と呼ばれるもので、当時の軍学書にも重要な施設と書かれています。また、城跡より谷を隔てた東側には三吉氏の菩提寺であった高(光)源寺跡があり、ここには多くの墓石が残っています。

                 三次市教育委員会

比叡尾山城跡 縄張り図

# 登城2008年1月

所在地 三次市畠敷町
1:尾関山城 2:比熊山城 3:比叡尾山城 4:高杉城


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