広島県のお城

丸子山城 (呉市倉橋町)

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丸子山城

 丸子山城は火山の南麓の尾根に位置する。城というものは部外者が入りにくいのが常。この丸子山城は丘レベルの高さしかない城だが本丸跡に到着するのに大変な労力を要する城跡である。登城口は簡単に見つかったが、いざ城跡に入ろうとすると人の背丈以上の草が生い茂り、自分も曲輪内に10m進んで諦めた。(草木に引っかかりセーターが破れた)

 城を築いたのは倉橋多賀谷氏で、多賀谷氏は元々は関東武士で武蔵国北埼玉郡騎西庄多賀谷郷を本拠とし、鎌倉時代に一族の多賀谷二郎入道が伊予に地頭職として入った。その後、河野氏の警固衆になり、南北朝時代に足利尊氏の東上に協力し下蒲刈島を得たと伝えられている。その後、下蒲刈島から勢力を広げ倉橋を支配下に置き蒲刈多賀谷氏と倉橋多賀谷氏に別れた。両多賀谷氏は大内水軍として活躍した。
1555年の厳島合戦を前に、倉橋多賀谷氏は大内側についたため毛利軍に攻められ丸子山城は落城。倉橋多賀谷氏は滅亡した。


丸子山城 曲輪の草
丸子山城 展望

# 登城2007年12月

所在地 呉市倉橋町本浦
1:丸子山城 2:杉迫城 3:丸子山城 4:岩山城 5:丸屋城


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