広島県のお城

小倉山城 (北広島町)

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小倉山城

 近年、整備されたせいか県内の山城の中でも小倉山城跡は訪れやすい史跡である。広い駐車場にトイレも完備、説明板も親切。歩道や史跡の管理状態は良い。この城跡は毛利元就の妻の里として知られるが、奥様関連の予算は総じて通りやすいのかもしれない。郭周辺は、亭主の元就の居城郡山城跡よりも整備されている。

以下、現地案内板より


 史跡 小倉山城跡    1986年(昭和61年)8月28日 国指定

 多くの中世山城は、地域、地域の人々、財産を侵略から守る砦としての位置付けが大きかったと考えられています。
 小倉山城跡は、新庄盆地の北側、標高460m、比高80mの丘陵上に位置する山城です。山頂の甲の丸(本丸と思われる)郭からは、新庄盆地の南西部と東南部を見渡せます。
 本城は、南北朝末期に、吉川経見が、築城したとされ、以後、毛利から入った吉川元春が、本拠を日山城に移すまでの約170年間、使ったと伝えられています。
  小倉山城跡は、郭のまとまりと堀切の位置から三つのブロックに分けられます。一ブロックの甲の丸(本丸と思われる)郭群と三ブロックの御厩の段(三の丸と思われる)の郭群は、防御に対する考え方が同じで同時期に築かれたと考えられ、二ブロックの御裏御殿(二の丸と思われる)の郭群は、一ブロック、三ブロックよりも新しく築かれたと考えられます。
 このようなことから、この城は、新庄の地域を支配するのみでなく、出羽から新庄にぬけるルートを抑えることが主な目的であったように考えられます。



おかたの里 おおあさ

毛利元就の妻  おかた (妙玖)

     「小倉山城から吉田へ」

 NHK大河ドラマ「毛利元就」の原作「山霧」(永井路子)に登場するおかた(ドラマでは美伊)は、ここ小倉山城の城主吉川国経の娘。吉田に嫁いだのは1518年(永正15年)のことと思われます。すなわち、元就が初陣で安芸の守護、武田元繁を倒した翌年に当たります。そのとき、兄吉川おかたの元経は、元就の異母妹の「松姫」を妻とする関係にありました。

 当時、毛利より吉川の方が少し領地が大きかったため、「おかたは不承不承嫁いだ」と、大河ドラマでは表現されていますが、政略結婚そのものが、女自身の器量として、誇りにさえ思われた時代であったようです。

 おかたは、元就との間に三男一女をもうけました。「吉川」を継いだ次男元春と「小早川」を継いだ三男隆景は、「毛利両川」として、毛利を継いだ長男隆元、その子輝元を助けて、中国地方制覇を成したことは有名です。

 おかたは、元就の悩みを聞き、よき相談相手となるなど、元就にとって、なくてはならない大きな存在であったようです。
 中世の女性は、男性同様の相続権をもち、名前もありましたが、系図には「女」とだけ記されている事が多く、仏門に入って得られる法名などが、当時の女性を識る手掛かりとなっています。おかたは、1545年(天文14年)に47歳で死去、法名は「妙玖」。

                         大朝町観光協会

小倉山城 甲の丸(本丸)周辺
小倉山城 現地案内図

展望
★★★
最寄の駐車場から本丸までの疲労度
★★ 

# 登城2007年12月

所在地 北広島町新庄
 1:吉川元春館 2:日野山城 3:小倉山城 4:駿河丸城


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