広島県のお城

鈴尾城 (安芸高田市)

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鈴尾城 遠景

 毛利元就が誕生したと伝えられる城。国道沿いに生誕の看板、城内に誕生の碑が建てられてるが、最近は元就は郡山城で生まれたとの説が有力である。真偽のほどは定かではないが、元就の母はこの城がお里である。
 登城口には駐車場と休憩所が完備。城域に入るには柵が設けられているが鍵はかけられてない。イノシシ対策なのかもしれない。しばらく歩くと福原氏の居館跡に到着する。普段の政務はここでおこなわれたのだろう。本丸へと続く道は急ではあるが、しっかり整備されており苦にならなかった。本丸跡に到着すると郭の跡もよく分かり展望の良い状態に保たれていた。ここからは桂城星ヶ城、そして郡山城まで見渡せる。

以下、案内板より


鈴尾(福原)城跡  県史跡指定 1940(昭和15)年11月10日

 鈴尾城は、吉田盆地南の可愛川に面する丘陵上に築かれた山城で、永徳元年(1381年)に毛利元春の五男広世が福原の地に移り、姓を福原と改めて築いた城で16世紀元俊に至るまでの219年間福原氏の居城と伝えられている。

 天文九年(1540年)の郡山合戦には広俊がこの城に籠って吉田盆地の南の守りとした。

 鈴尾城は標高316m、比高110mで、三方を急峻な崖と背後を空掘で区切ることによって要害としている。郭は機能的に、頂部を輪状にめぐる中央部の郭群と北側の支尾根上につながる小郭群、さらに東側の谷近くにある居館跡の山群に分けられる。頂上部の郭は南北18m東西12mの広さをもち、その中央部には櫓だったと思われる高さ1m上幅1.5mの石垣がある。城の眼下には、可愛川があり、これを扼す要衝の地として戦国動乱期の吉田盆地を守る南の要であった。

鈴尾城 本丸周辺
鈴尾城 見取り図

展望
★★★★
最寄の駐車場から本丸までの疲労度
★★

# 登城2007年12月

所在地 安芸高田市吉田福原
1:桂城 2:星ヶ城 3:鈴尾城


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