広島県のお城

熊谷氏土居屋敷 (広島市)

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熊谷氏土居屋敷跡

 熊谷氏の居館跡である土居屋敷跡は福留ハムの駐車場に隣接している。遺構には、石垣や石碑と説明版が設置されてある。土居で思い出すのが大内氏が東西条に築いた郡代(土居遺跡)で、あちらの規模は当時の広島県下では最大の平城だったらしいが遺構はよく分からなかった。ここは遺構を確認出来たので嬉しかった。

以下、現地案内板より


 広島県史跡 熊谷氏の遺跡・土居屋敷跡

● 熊谷氏と三入荘
 承久の変(1221年)で勝利をおさめた鎌倉幕府は、戦功のあった武将たちを西国各地の守護・地頭に任じた。武蔵国熊谷郡(埼玉県熊谷市)の熊谷氏は、安芸国三入荘(現在の大字大林、桐原、上・下町屋付近)の地頭に任ぜられると、間もなくこの地に移り伊勢が坪城を築いた。その後室町期に入ってから戦略的により優れた高松山に在拠を進め、麓に屋敷を構えた。また、この屋敷と根之谷川をはさんで向かい合う位置に一族の菩提所・正法山観音寺を営んだ。

● 土居屋敷跡
伊勢が坪城から高松城に本拠を進めた熊谷氏が、天正19年(1591年)毛利氏に従って広島に移るまで、平生使用していた屋敷・政庁跡である。背後に高松城(海抜高度339m)をひかえ、前面の根之谷川を天然の堀とした要害の地にある。屋敷跡の広さは約20アールと推定されるが、現在は、わずかにL字型に残る石垣にその跡をとどめる。なお、正面中央付近の「切りかけ」は門跡と考えられている。また、この付近一帯の字を土居というが、これは有力な地方豪族の屋敷を中心とした中世の集落が、この地に存在していたことを物語るものである。

# 登城2007年12月

所在地 広島市安佐北区可部町三入南
1:三入高松城 2:熊谷氏土居屋敷 3:伊勢が坪城


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