五龍城 (安芸高田市)

国道54号線のトンネルの上にあるお城。宍戸司箭神社の鳥居から急な石段を登れば城跡にたどり付ける。城の場所は比較的分かりやすかったが、ここが城だとは全く気付かなかった。宍戸氏は宍戸隆家が元就の長女と結婚するまでは毛利氏との戦いにあけくれたが、和睦すると毛利一門として活躍した。
以下、案内板より
五龍城の由来 (広島県史跡)
五龍城は、甲立盆地の南端の丘陵先端部山城で、南北朝期以後、毛利氏の防長移封までの約250年間宍戸氏の本拠として用いられた。
宍戸氏は常陸国宍戸(茨城県西茨城郡友部町)にいた宍戸朝家が元弘3(1333)年足利尊氏と共に六波羅攻略に功があり、翌建武元年(1334)安芸守に任ぜられて甲立の荘を領し、当初菊山中腹の柳ヶ城に入ったが、ここは城としては不適当と考え、元木山に城を移した。しかし、用水がないので五龍王を勧請して祈願したところ、直ちに井水が湧出したので大変喜び、以後、五龍山と改名し、城を五龍城と称した。
本丸跡

案内板の縄張り図

展望
★★★
最寄の駐車場から本丸までの疲労度
★★
# 登城2007年11月
所在地 : 広島県安芸高田市甲立
1:田屋城 2:日下津城 3:長見山城 4:五龍城 5:祝屋城
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