広島県のお城

仁後城 (安芸高田市)

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仁後城 遠景

 仁後城は城の北側に案内標識が設置されてある。その北側から登城を試みたのだが、ケモノ除けの金網が張り巡らされ山には入れない。仕方なくフラフラと北側を歩いてるとハシゴを発見。ハシゴが設置されてあるのは登れる証である。早速、ハシゴから山に入った。登りきった場所からは急峻な山になるが、大して高くない山である。5分後には下段の郭に到着。そして堀切で仕切られた本丸跡へもすぐ辿り着けた。城域は全域に渡って放置山城状態ではあるが、本丸部分は下草も少なく見通しは良い。市の史跡なのだから、郭周辺の木を伐採すれば見通しも良く史跡らしくなると思うが残念。

以下、現地案内板より


高宮町史跡 仁後城跡 (伝和智誠春館跡)

 別名「尼子城」ともいい城主は不明。一説には尼子一族の城といわれ、毛利方の牛首城(佐々部氏)との間にたびたび戦いが行われたという伝説をもつ。血刀を洗ったため、小川が桜色に染まったので、「桜小川」の名がついたのもその一つである。

 また別に、吉舎南天山城主和智誠春の居館ともいわれている。
 毛利隆元は永禄6年(1563)、出雲遠征の途中、式敷・蓮華寺で没したが、その前夜誠春の供応を受ける。その場所は定かではないが、地理的条件や言い伝えなどからここに誠春の館があったとする説は、うなずけるところである。
 城跡は、標高280mの丘陵頂部の主郭を中心に北西伸びる尾根筋、南東に伸びる丘陵上に七つの郭と小規模郭群が設けられており、それらの周辺に配した竪堀、土塁などの遺構が確認されている。

 平成14年3月25日 高宮町教育委員会 高宮町文化財保護審議会

仁後城 登城のハシゴ

仁後城 本丸跡

展望

登城の疲労度
★★

# 登城 2008年3月

所在地 安芸高田市舟木田屋郷
1:猪掛城 2:高橋城 3:牛首城 4:仁後城 5:面山城


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