広島県のお城

高尾山城 (坂町)

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高尾山城 二の丸より

 高尾山城は坂町から展望台のある城跡がよく見える。坂町の観光名所なのかもしれない。しかし、少しでも坂を登りたくない一心から矢野町の団地側(矢野南3丁目)より登城した。登城の道は坂町側のようには整備されてないが、普通の山道で苦にはならない。郭に到着して、まず目についたのがバイオトイレ。上段の本丸跡は説明版に展望台、ベンチ、下草もなく完璧に整備されている。また広島湾を望めて展望は素晴らしい。夜景の穴場ではなかろうか。此処まで登ってくる観光客は少ないと思うが、町民の憩いの公園としては申し分ないと思う。

以下、現地案内板より



高尾山(坂町)城跡
茶臼山(矢野町)城跡

 高尾山(標高230m)は、山頂の中央が坂町と矢野町の境界になっており、昔から坂では「天神堂」、矢野では「ちゃあすけ」と愛称された山城で、荘園時代矢野郷の惣公文中原惟道こと矢野氏が築城されたという説もある。
 南北朝時代の初期建武2年(1335)12月、武田方(足利尊氏)に味方した安芸の守護職、武田信武(銀山城主)に抗し、矢野城にたてこもった宮方(後醍醐天皇)の熊谷直行入道蓮覚はこの山を支城として用いた。
 また、室町時代地頭職として、矢野郷に入部した野間重能により五代百十年間(1445~1555)の主要な城であったが、天文24年4月11日、隆則の時、毛利勢の大軍に攻められ落城した。この戦は矢野要害全体の運命を決するものであった。
 この城は典型的な山城で、現在でも遺構は完存し、往時がしのばれる。山頂の平坦地は本丸で、下方の北と西南に出丸をもつ複連郭型の丘陵山城である。
 本丸の北寄りに井戸跡、馬返しより矢野側に下ると補給源の泉があり、お馬屋敷の伝承がある。丘陵を北に下ると牛の首岬の船着場へつづく。また西方の遠見城(西側の山)とは連絡がとれ、水軍の頭領だった野間氏にとっては矢野城の眼ともいえる海上監視の役割をもっていた。

      昭和62年11月 建立 坂町教育委員会 矢野史跡顕彰・発喜会

高尾山城 登城口

高尾山城 本丸跡



展望
★★★★★
登城口から本丸までの疲労度
★★★

# 登城 2008年3月

所在地 坂町高尾山
1:矢野城 2:高尾山城 3:天狗城 4:堀城


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