日下津城 (安芸高田市)

向原町の坂の地に「坂」姓を名乗った毛利親衡が築いた日下津城がある。城のある山の麓には大きな看板も設置され分かりやすい。登城は当初、藪だらけかとも思えたが一歩山に入るときれいに植林されており登りやすい。山主さんは山を財産として管理されておられるのだろう。郭の加工もはっきり分かり下草も刈られ遺構の状態はいい。
この城は毛利元就の毛利家相続において坂氏の命運を決する舞台に登場する。大内親派坂広時は当時尼子方だった毛利元就に攻められ自刃。その事を根にもったのか、坂広秀は毛利家の跡目に元就の異母兄弟元綱を擁立しようとしたが、元就に夜襲をかけられ滅ぼされてしまった。
以下、現地案内板より
日下津城址
南方真向い約500mの山頂・日ノ宮権現下にある。正平5年(1350)毛利親衛・匡時の父子は、ここを居城として坂氏を名乗った。そして南北朝合戦では、北朝方の守護職武田氏信の大軍を迎え、半年間も籠城して、遂には大勝利を博している。
大永2年(1522)尼子晴久が郡山城を攻めた際、城主坂広秋は親大内派の理由から元就に攻撃され落城し自刃した。県下の古城1000のうち、このように再三の戦禍を受けた城は珍しい。
最後の城主坂新五左衛門就清は、毛利家人としてしばしばの合戦で際立った奮戦ぶりを見せている。
城跡には四つの平段と古井戸が残り、麓の円覚寺(今はふもとの薬師堂)は坂氏の菩提寺であった。
昭和57年12月 向原町教育委員会


展望
★★
登城口から本丸までの疲労度
★★★
# 登城 2008年2月
所在地 安芸高田市向原町坂
1:田屋城 2:日下津城 3:長見山城 4:五龍城 5:祝屋城
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