広島県のお城

佐東銀山城 (広島市)

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銀山城01
 広島市内には約200ヶ所以上の山城跡があるそうだが、その中でも最大の山城と言えば銀山城。広島経済大学のある武田山(海抜411m)に城跡がある。県内の山城の中でも一際、登山気分を味わえる城でもあり本丸跡までの道は険しく整備もあまりされてない。広島市の文化財予算は広島城で使い果たしたのか?それとも市民の健康促進のため敢えて整備をしないのか?などなどブツブツ文句を言いながらも山頂まで登りつめ、館跡から眺める広島市内は絶景の一言。広島湾から祇園まで全て見通せる。城の位置としては申し分ない。築城のきっかけは蒙古襲来に備えて安芸武田氏が城館を築いたのがはじまりと伝えられるが、ここからだと敵船の動きも手に取るように分かるし防御にも適している。

館跡周辺


銀山城02



以下、案内板より


 鎌倉時代初期、旧祇園町一帯には、安芸国内から運ばれてくる物資の保管倉庫(倉敷地)が集中していました。また、この地域は、古市、今津などの市場や港町で賑わい、安芸国の政治、経済、交通の大変重要な場所をしめていました。

 こうした要衝の地をおさえるため、承久の乱(1221年)で手柄をたてた甲斐(山梨)守護職武田信光は、安芸守護職に任命され、守護所を武田山南麓に構えました。その後、鎌倉時代末までには、武田氏により銀山城が築かれたと伝えれています。銀山城は、これ以後、天文10年(1541)大内氏の命をうけた毛利元就に攻め落とされるまで約300年間、大田川中、下流域を中心として安芸国支配をすすめようとした武田氏一族の一大拠点として重要な役割を果たしていました。

 現在、銀山城跡には、斜面を削り取り、平らにした50近くの郭の跡や堀切などが残っています。特に中腹の要所に設けられた御門跡とよばれる郭跡には、通路を直角にとるかぎの手の石積みを残しており、近世城郭の枡形の原型として大変貴重なものといわれてます。このように広島市域で最大の規模をもつ銀山城は構造的にもきわめて優れており、広島県を代表する中世の山城といえます。

銀山城03
 

展望
★★★★★
最寄の駐車場から本丸までの疲労度
★★★★★

# 登城2007年11月

所在地 : 広島市安佐南区祇園町・山本町

1:佐東銀山城 2:八木城 3:恵下山城 4:三入高松城 5:木の宗山城


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