祝屋城 (安芸高田市)

祝屋城は城の南側に案内板が設置された登城口がある。そこから登るとすぐに岩屋の祠にたどり付くが、この岩屋の祠の名前から祝屋城になったのではなかろうか?そこから放置山城状態の城跡になるのだが、比高は80mくらいだが傾斜はきつい。所々、石垣が崩れたような場所を登りつめると本丸跡に到着する。堀切で仕切られた西側の郭も含めると規模は中くらいである。しかし、石垣も多様された形跡もあり堅固な城構えではなかったかと感じた。
以下、現地案内板より
祝屋(岩屋)城跡
第6代五龍城主宍戸元家が1504(永世元)年築城。五龍城を長男元源に譲り、次男隆兼、三男家俊とともに移り住んだ。隆兼は祝屋城主となり、当地の地名深瀬氏を名乗った。1600(慶長5)年周防三丘に移るまで四代96年間在城した。
1540天文9年6月、尼子国久、、久幸の三将は将兵三千騎を率いて、備後路から志和地の八幡山城に陣を進めた。そして祝屋城、五龍城を陥れた後、郡山城へ迫る計画であった。尼子勢に対して、深瀬隆兼、宍戸隆家が祝屋城前の犬飼平、江の川石見堂の渡しの合戦で激しく防戦し、遂に尼子勢を敗退させ、備後路からの吉田郡山城攻めを諦めさせた。
甲田町教育委員会



展望
★
登城口から本丸までの疲労度
★★★
# 登城 2008年2月
所在地 安芸高田市甲田町深瀬
1:田屋城 2:日下津城 3:長見山城 4:五龍城 5:祝屋城
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