椋梨城 (三原市)

白竜湖から486号線にそって豊栄方面に進むと左手に椋梨城跡が見えてくる。大きな看板も設置されており分かりやすい。城跡を訪れてみると、何とゆうか地元の人の手作り感たっぷりに整備されており好感が持てた。
以下、案内板より
椋梨城は堀城ともいわれ、後方野呂山の山霊麓に突出した小高い丘をきりぬいて独立させたものと思われ前面に空掘を作り格好の整った方形の低い城であるが築城の年は不明である。
城主椋梨氏は沼田高山城主小早川家の出で土肥実平四代の小早川次郎景平・二男新庄次郎左衛門季平は沼田新庄(椋梨・和木・大草・小田・上山)を支配し子の国平のころ(寛正四年 1246年)からこの地に居住し椋梨氏を称した。
そして後、毛利氏に属して萩に転封されるまで代々三百五十数年の長きにわたりこの地にあった。
またすぐ近くに椋梨氏の菩提寺学応寺跡、及び椋梨氏一族の宝きょう印塔、五輪塔が約60基余りある。


展望
★★
最寄の駐車場から本丸までの疲労度
★
# 登城2007年11月
住所 : 三原市大和町椋梨
1:椋梨城 2:小田城
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