恵下山城 (広島市)

県史跡でもある恵下山城には古代住居の跡もあり古くから人々が生活していた様子がうかがえる。川の近くなので洪水などの被害を受けないため、この地に住居を構えたのかもしれない。遺構も比高が高くないことから疲れずにまわる事が出来る。古代住居の南側の削平された場所には石垣なども残っており、堅固な城構えであったのだろう。
以下、現地案内板より
広島県史跡 恵下山・山手遺跡群
指定 昭和49年4月25日広島市安佐北区落合三丁目 真亀三丁目
この遺跡群は、弥生時代の住居跡群や6世紀後半の古墳、鎌倉~室町時代の恵下山城跡からなってます。
恵下山城跡は、尾根を利用して築かれ、頂上の郭(平らに削った場所)から対岸の八木城をはじめ、周囲の山城を望むことができます。また、大田川・諸木川を天然の堀とし、頂上の郭を囲むように14の郭を配置して守りを固めています。背後(搦手)は、尾根を切った堀切で敵の侵入を防いでいます。このように、この城は、自然の地形をうまく利用して防御の工夫を各所に凝らしており、小規模ながら、中世山城の特徴をよく残しています。
鎌倉時代以後の安芸国では、武田・熊谷・香川・金子氏などの東国武士が入国し、所領をめぐる争いがくり返されます。この山城からは、不安定な情勢にあって自分の所領を命をかけて守ろうとした姿(一生懸命)がうかがえます。
この城跡を含む遺跡群は、弥生の昔から人々の活動した様子を伝える貴重な財産なのです。


展望
★★★
最寄の駐車場から本丸までの疲労度
★
# 登城2008年2月
所在地 広島市安佐北区真亀3丁目
1:佐東銀山城 2:八木城 3:恵下山城 4:三入高松城 5:木の宗山城
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